高校卒業を機に上京し大学卒業後、日本最大手広告代理店に入社。
その後、ベンチャー企業役員、外資系経営コンサルタントと渡り歩く鹿児島生まれのヤマト(29)。
そんなヤマトの就職活動から現在までを綴った上京物語。
第4話:社会人『新人』編
「1年目からやらざる負えない環境に行かせてください」
1か月間の同期との新人研修を通して、これまで野球しかしてこなかった自分を冷静に見極め、配属担当の人事に伝えた。
同期との圧倒的なビジネスにおける知識量の差や劣等感を感じた一方で、これまでの野球人生の通り、様々な経験と修羅場を重ねることで自分に負荷をかけていけば、きっとこの壁は越えられるという変な自信を持っていた。
「お前、酒は飲めるんか」
上長とチーム長は、その風貌からクライアントに『田中角栄』と『マフィア』というあだ名がつけられていた。
多くが東京の本社に配属されていく中で、同期の中でも5%程度しか配属されない、人生において縁もゆかりもない関西支社の営業に配属が決まった。
関西支社は人数が少ないこともあり、若手のうちから業務範囲は広く、自ずと業務量も多いため若手が鍛えられることで有名だった。
私はその中でも、厳しさのあまりここ数年新人が育っていない(半年で退職や1年で異動など)、関西の軍隊と呼ばれていたチームへの配属だった。
例年、新人が育っていないこともあり歓迎会すら行われない。。(恐らく会社史上初。笑)
厳しい毎日が配属の次の日から始まった。
元々支社内でも忙しいことで有名だったが、MTG、MTG、MTG、資料作成、電話対応、雑務、MTG。
広告会社の大きな仕事の流れとして、クライアントの様々な課題・依頼に対して、社内・社外の多くの人たちと連携を取りながら仕事を進めていく。
その中でも営業職は、金額の交渉・調整はもちろん、業務全体のマネジメントを行い、クライアントへの全ての提出物の最終責任者という立ち位置の為、全MTGへの参加が必須となる。
MTGの内容も、ストラテジー(戦略・コンセプトメイク・調査など)からクリエイティブ(TVCM、グラフィック、各種ツール制作など)、メディア(TV、新聞、雑誌など)など多岐にわたり、人の名前はもちろん、仕事の進め方や言葉の理解など毎日が目まぐるしく過ぎ、朝まで仕事をやり続けることも日常茶飯事だった。
そのような日々の中で、私が一番教え込まれたのは、人の細部の動きにまで目を配り、言葉の文脈まで読み解くことで、一緒に仕事をするすべての人たちがいかに気持ちよく仕事をしてもらうことを徹底的に叩き込まれた。
また、クライアントにとっては、一人一人が会社の代表であるため、自社の企業価値を下げない為にもプロフェッショナルとして全ての言動に責任を持つことを説かれ続けた。
さらに、一流広告マンたるものとにかく遊ぶことを口酸っぱく言われる。
世の中に広告を通じて、”行動や消費を促す”ことが仕事であるのであれば、まずは自ら実践すること。
それは、一流のモノ・コトに触れることから恋愛に至るまで。
その為、20時ぐらいに一度仕事を抜け、合コンにいき、夜中の0時ぐらいに会社に戻り顔を真っ赤にしながら仕事をする日もあった。
よく遊び、よく仕事をする人が”デキル人”と教えられていた。
一方、仕事はというと、とにかく怒られた。
恐らく、本当に“デキない”新人だった。
メールを打てば誤字脱字が散見され、議事メモは取れない、発言もしないため会議中に寝てしまう。
今考えると、目の前の見えていることにしか反応出来ず、仕事の全体像、依頼時の相手の背景、次への展開など物事を俯瞰してみることが全く出来ていなかった。
そんな、“デキない”新人の転機は配属されてから一番近くで色々と指導してくれた先輩の東京異動だった。
つづく…
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