高校卒業を機に上京し大学卒業後、日本最大手広告代理店に入社。
その後、ベンチャー企業役員、外資系経営コンサルタントと渡り歩く鹿児島生まれのヤマト(29)。
そんなヤマトの就職活動から現在までを綴った上京物語。
第2話:就職活動『インターン』編
父は、末期がんだった。
数か月前からある程度の覚悟はしていた。
しかし、この20年間、僕に多くの影響を与えてくれた父の『死』という現実は、これまでの生き方を根本から変えるものだった。
「野球を続けるとか言わずに、お願いだから就職活動をしてちょうだい。」
母からの懇願に現実を受け入れざるおえなかったものの、
「日本最大手の広告代理店に内定したら野球をやめるよ。」と、僕は覚悟を決めた。
「”広告”ってマスコミだけど何しているんだろう?」
野球のオフシーズン(長期休暇)と重なった僕は、たまたま業界大手の広告代理店のインターンに応募してみた。
書き方のテクニックもわからないまま、エントリーシートを提出したものの、なぜか書類選考通過の案内が来た。
着慣れないスーツを身にまとい、面接を受けに銀座にあるオフィスに向かう。
-「私は、大学時代イギリスとアメリカ、スペインに留学し、現地にてベビーシッターや日本語を教えていました。将来は、グローバルで活躍できるキャリアウーマンになりたいです。」
3人一組の面接形式の中、隣に座った可憐な女の子は慣れた様子ではきはきと話している。
一方、何が面接において大切かということもわからないまま面接に臨んだ僕は、とにかく『野球を誰よりも必死にやってきたこと、”自主性”を重んじる環境下において自分で自分を律し、高め続けることでチーム力に”還元”していったこと、主将としての苦労』など、面接官に聞かれたことを実直に答えた。
そんな姿勢を評価してくれてか、数日後インターンへの参加通知が届いた。
-「3か月前までリーマンショックで倒産した世界最大手の証券会社でインターンしていました。」
-「15年間海外で育った経験を生かして、グローバルに活躍して、日本のGDPを向上させたいです。」
-「広告代理店に入社後は社会課題を解決し、世の中にムーブメントを起こしたいです。」
昨日まで合宿だった”真っ黒”に日焼けした僕は、銀座のど真ん中にある綺麗なオフィスはもちろんのこと、インターン生の発言内容の世界観が違いすぎて戸惑った。
3日間あるインターンのプログラムは、初日から2日目の午前中まで、各部署の社員が登壇し、広告ビジネスモデル、最近の広告事例、今後の広告会社を取り巻く環境変化などの座学が中心だったものの、2日目のお昼時にグループに分けられ、広告会社の疑似体験と称し、お題が出された。
3日目の午後には提示されたお題に対してチームで考えた内容をプレゼンするようにとインターン担当の方から指示されただけで、後はチームごとに自由に進行。
-「今の世の中は、閉塞感にあふれている。下を見るんじゃなくて、上を向くことを日常から習慣化出来ないかな。」
-「将来への不安ばかり口にしてもしょうがない。一人一人の行動・意識を変えることが次の将来を創っていくことを、今人気の○○芸人をキャスティングして、ムービー化して情報発信していくことにしよう。」
喧々諤々の議論は、翌朝まで続いた。
ぎりぎりまで資料を作成し、プレゼンテーションの準備をして、発表に臨む。
一晩を一緒に過ごしただけなのに、ここまで仲間意識が生まれることに驚かされた。
そして、とにかく楽しかった。
インターン終了後に、頭と心の整理をする為に、”何が楽しかったのか”を熟考してみた。
・高い志を持った仲間たちと同じベクトルに向かって一心不乱で走り続けたこと
・価値観や考え方が全く異なる人たちと、アイディアや意見を重ね続けることで一人では考えられなかった課題がブレークスルーしたこと
それは、僕が12年間夢中になったスポーツの価値と同じだった。
・大切な仲間と一つの目標に向かって走り続けたこと
・様々な試合状況の中で一人一人が自分の役割を全うすることで得点を重ね、結果勝利に結びつけてきたこと
「だからか。」
無意識のうちに野球と同じ感覚で楽しむ自分がいた。
このときの原体験は、その後の就職活動はもちろん、社会人になってからも働くうえで大事な指針となったことは言うまでもない。
つづく..
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