高校卒業を機に上京し大学卒業後、日本最大手広告代理店に入社。
その後、ベンチャー企業役員、外資系経営コンサルタントと渡り歩く鹿児島生まれのヤマト(29)。
そんなヤマトの就職活動から現在までを綴った上京物語。
最終話:社会人『あの日の夕日』編
「お前は何もわかってないし、人生をなめている」
本社に異動して丁度1年が過ぎようとしていたとき、私は上長に退職の意を伝えた。
異動した1年間、マーケティング戦略はおろか、月数本のTVCM制作やTVCMを流すための枠の調整(テレビスポット)に忙殺され、関西時代に描いていた広告領域を超えた業務は全く存在しておらず、自分が理想としていたなりたい姿と現実とのギャップにもがき悩み続けていた。
東京本社に異動してきた1年間、ギャップを埋めるためにあらゆる行動を起こしてきた。
社外活動として自己流で勉強し、国内の有名大学院MBAを受験・合格。
上長に仕事をしながら通うことを依願した。
さらに、社内異動を模索し関係する様々な人と調整を行ったりしたものの、異動してきたばかりということもあり両者ともに頓挫した。
今振り返ってみてもこの時期は、本当に苦しく、どうしていいわからない状況が続いていた。
そんなある日、友人の知り合いが経営しているデザインコンサルティング会社の成長が近年伸び悩んでおり、通常業務のビジネスプロデュースはもちろんのこと、会社全体の経営マネジメントができる人材を探しているという話をもらった。
タイミングよくすぐに会社の社長と会う機会に恵まれ、デザイナーでもある彼女の一言で転職を決意した。
「もう広告と言っている時点で時代遅れ。手段は問わない。コミュニケーションという視点から世の中に情報を発信していくことが普通な社会になってほしいし、そんなクライアントが増えてほしい。自社の立て直しはもちろん、世の中にインパクトのある仕事を一緒に手伝ってほしい」
入社してからは、何でもやった。もともと社員も8人程度と少人数で運営しており、プロデューサーは私一人、経営自体も社長がデザイナーとしての仕事を行いながらやっていたものの、ほぼ皆無に等しい状態だった。
そのため、通常のデザインコンサルティングの仕事はもちろん、商品開発や本の出版、映画製作などの業務の拡大をはじめ、リクルーティング、広報活動、キャッシュフロー管理、毎月の予算策定、過去の負の遺産処理など会社の中で不足しているところはすべて行っていった。
忙しい毎日を過ごしていたものの、1年前の自分とは想像もつかないほどの経験と成長をしている実感が3か月過ぎた頃から感じていた。
また、社長自体もデザイナー業界では著名な人だったため、多くの魅力あふれる人たちとの出会いにも恵まれ、本当に刺激的な日々を過ごしていた。
そんな、順調な日々が続いた1年たった頃、突然会社を去らなければならない事態が起こる。
社長から「実家の父が倒れた。急いで帰省する。」と連絡が来たのだ。
会社としても世の中的にも大きなプロジェクトが進んでいる最中だった。
この出来事がまたもや私の上京ジェットコースターを加速させていく。
「父の介護のために、今回のプロジェクトが終わったらどうしても地方に戻らないといけない。」
社長がデザイナーであり、作品を生み出す全ての根幹となっている以上、モノ作りでいうと開発・生産ラインがストップすることを意味していた。
特に、私の場合、様々な作品をお金に変えていくことが仕事であることと経営マネジメント視点から見ても、まずは私のような立場の人間が会社を去る必要を感じた。
結局、現在進めているプロジェクトを完遂させ、社長が復帰予定の半年後の仕事の当てをつけてから退職することを決めた。
こんな状況の中でも、私はつくづく運がいいなと感じている。
元々、広告領域を超えた経営の仕事をすることを望んでいた私は、前職を辞める時から、ヘッドハンターから紹介を受けていた。
そこにタイミング良く外資系コンサルティング会社から再オファーを貰ったのだ。
1年前よりも、さらに高い評価を頂き、数回の面接を経て私は再度転職を決意する。
そんな『決意』から転職をし、今年で3年目を迎えようとしている。
日々、様々な課題や新しい取り組みに対してクライアントの経営層とディスカッションを繰り返し、20代後半ではなかなか経験ができないことに日々チャレンジさせてもらうことができた。
コンサルティングファームの平均勤続数は3年。
これからのことについても考えるタイミングが近づいてきた。
先日30歳を迎え、改めてこんなことを考えている。
一見傍から見ると、まとまりのないキャリアを積んできているものの、後付けにも近いが自身はデザイン・クリエイティブと経営を融合させることを念頭にキャリアを選択してきた。
これまでの点と点の経験が線となって繋がり、誰にも真似できないスキル・経験・人脈を身に着けた時、地元の鹿児島に留まらず九州を起点として、日本全土や世界にモノやコトを情報発信していきたいと考えている。
もちろん、それによって自分の生まれ故郷の鹿児島や九州がさらに発展・活発化していくことは必須だ。
こんなことを夕暮れ時のちょっとした休憩のために訪れたカフェで考えながらも、また東京駅にある高層ビルのオフィスに戻るために腰を上げた。
綺麗に整備された並木道を、多くの人がそそくさと家路へ向かう。
いつもの見慣れた光景。
24階行きのエレベーターの中から夕日が見えた。
「あの日見た夕焼けと何も変わらん。」
コーヒーが入った袋とチョコレートを握りしめ、自分のデスクへと歩き出す。
高校時代の部活帰りに、よく友達と見ていた鹿児島のきれいな”あの夕日”を思い出しながら。
-fin-