【旅ログvol.04】女子2人のインド旅で感じたこと

「1ヶ月間インドに行ってくる。」

思い立ったら即行動の私は、中学からの親友に連絡を取り、すぐにインド行きが決定した。

インド行きを決意した私と友人に対して、当時女性へのレイプ事件が多発していた為、何も知らない女性2人で行くことは当然のごとく反対され、周りからは心配や驚きの声が上がったが、当の私たちは、不安よりもワクワク感が止まらなかった。

看護専門学校を卒業後に、鹿児島の病院で3年間病棟看護師として働いている、マイコ(25)。

1日多いときは10件の手術、緊急入院、認知症患者の対応など、患者の入退院がとにかく激しい鹿児島でも有名な病院。

正直本当に激務な環境で、20時~21時に帰宅することが当たり前で、時には日付を回って帰宅することもある。

そんな毎日クタクタになりながらも若さゆえに毎日仕事をしていたが精神的にも体力的にも限界で、何かもリセットして、一から気持ちを切り替えたいと思っていた。

そんな中で、専門学校時代になんとなく見たインターネットサイトに、インド”コルカタ”にマザーテレサが中心となったボランティア施設(マザーハウス)があったことを思い出した。

きっとそこに行ったら、何か得るものがある。

『今とはまったく違う環境で過ごしたい。』

この25年間生まれ育った鹿児島を感じさせない異文化の「海外」に行ってみたかった。

インドへ渡った1ヶ月間は、ボランティア施設を巡ることを中心とし、現地の人々と直に過ごせたことで、毎日がとても刺激的で何もかも新鮮だった。

決して綺麗とは言えない街並みであったし、衛生面は最悪な環境であったものの、インド人の気軽さ、適当さ、エネルギーさに魅了された。

インド中でも世界屈指のメガシティで、市域の人口密度は首都デリー以上の街”コルカタ”のボランティア施設マザーハウスを訪れた際、1日だけストリートチルドレンが多くいる町に行く機会があった。

その施設に行く道中から、ストリートチルドレンたちが私のほうに寄ってきて、話しかけてきたり、手を差し伸べてきたり、抱きついてきたり、抱っこをせがむ子供たちもいて、とにかくスキンシップが激しかった。

子供たちの身体を洗って、綺麗な洋服に着替えさせたり、ご飯の配膳を手伝ったり、一緒に遊んだりと半日過ごした。

貧困ではあるが、楽しそうに遊ぶ子供達の笑顔を見れるだけで元気をもらえた。

この施設には、2歳ぐらいから10歳ぐらいの子供たちが20人ほどいるが、もっともっとインド国内や国外にもストリートチルドレンたちはたくさんいる。

親がいなくなったことで、食べ物も飲み物も住む環境も十分に得られない生活、この一日を生きていくために、”どうするか?”を考え、時にはスリをしてしまうことだってある。

そんな親の愛情を十分に受けていない子どもたちを目の当たりした私は、何もかも不自由ない生活をさせてくれた両親の有り難みを頭の先からつま先まで痛感させられた。

まさに生と死を間近に感じる国だった。

次にインドのガンジス川沿いに位置しヒンドゥー教の一大聖地”バラナシ”にあるマザーベイビースクールに行った。

マザーベイビースクールとは、貧困層の子供達の学費を無料とし、国際的感覚を養うことで、将来の職業の選択肢を広げられるような教育を行っている学校だ。

実はここに学校を建設されたのは、ある”日本人男性”が旅行に来たことが始まりであった。

その日本人男性が訪れた際に現地の女性に、「あなたの夢は何ですか?」と尋ねた。

その現地の女性は、「学校に行きたくても行けない子どもたちのために学校をつくることです。」と答えた。

「その夢を聞いて、その日本人男性は、その夢に賛同する友人たちと一緒にお金を出し合って、学校を建設したんです。」と学校に駐在する日本人女性は、教えてくれた。

同じ日本人でも、凄い方はいるもんだ!と思ったのと同時に、自分も日本人として誇らしく思えた。

残念ながらその場所に着いたときには、子どもたちの授業風景を見ることはできなかったが、置いてある資料や写真からは、楽しそうに勉強をしている子どもの笑顔があった。

その現地女性の一言で、本当に学校を建設し、運営していく団体を立ち上げた、日本人男性の行動に驚きと芯の強さと優しさを感じた。

多くのことを吸収し・感じて、インドから鹿児島に帰ってきたとき、私もそういう活動ができたらいいな、鹿児島でもそういう団体がないものかと探した。

探せば探すほど、そういう団体は、関東中心だった。

一方、一緒にインド旅行した親友は、数年前に上京し東京在住というのもあり、すぐにその団体の活動を手伝うようになり、今では飲食代の一部がインドの子供達の支援となるカフェバーを立ち上げたりと第一線で活躍している。

インドから鹿児島に帰ってきて、看護師として働く日々に戻り生活をしていると、ふと親友の行動力と勇気を羨ましいと思う気持ちと、今の環境を変える勇気が持てない自分の弱さに苦悩した。

しかし、まだまだ長い人生を送るだろう今、たった数年でもいい、別の場所で生活してみるのもいいのではないかと。

あのとき行っておけばよかった、やっておけばよかったと思う後悔はしたくないと思った。

そのときに、やっぱり浮かんだのがあのボランティア団体の活動であり、インドで感じた自分の思いだった。

人生、楽しんだもん勝ちだと思いたい。

20代前半はがむしゃらに仕事して、何も考えず遊んだ。

『私はこれからどういう人生を送っていくのか?』

『そのときに私の周りには、どんな人たちがいるのか?』

“コルカタ”のマザーハウスでボランティア活動をしていたとき、日本人シスターが言っていた。

『自分のことばかりを考えていると幸せになんてなれない、自分のことを忘れるぐらい他人に思いやりを持ち、接することができれば自然と幸せになれる』と。

それがどんなに”小さなこと”でもいい。

私は、そんな生き方がしたい。

Fin.