サキは、色白でぱっちりした目とシュッとした鼻をもつ端整な顔立ちで、身長も162cmでスラッとしている。
上京して7年目のサキはすっかり垢ぬけて、東京のできる女の雰囲気を身にまとい、空にも届きそうな高層ビル街を颯爽と歩く。
これは、鹿児島の高校を卒業したのち、東京の大学へ進学し、化粧品会社へ就職したサキ(25歳)の3分間の物語。
高校時代は親友からの誘いでソフトボール部へ、大学では小さい頃から歌うのが好きだったためアカペラサークルに入り、学生生活を楽しんだ。
小・中学生時代を振り返ると、ずっと親が共働きだったこともあり「私は友達と遊びたいのに、6つ下の弟の世話をしなきゃいけず、なかなか遊びに行けなかったのが、めちゃめちゃ嫌だった」と、いつも言ってしまう。
それを聞いた友だちは「サキらしい~」と負けず嫌いで、サバサバし責任感も強く、ズバッと核心を突く私の性格に納得する。
私の就職活動は、第一希望は大手航空会社2社であったが、敢え無く不合格となり、大学のアカペラ部OBで2つ年上のIT企業の広報を務めるマリナ先輩の勧めで、大手化粧品メーカーを受けて、内定を頂いた。
マリナ先輩に理由を聞いた時は「結果、サキちゃんに絶対合ってる!」というシンプルで且つ他人事感がすごかった。笑
-(まぁ、憧れであったが、今戻れるとしたら違う会社に進んでいただろうw)
就職してからは、華やかさとは裏腹に女社会と社会人の厳しさを感じながら、毎日1000km以上離れる鹿児島にいる母に泣きながら電話していた新卒一年目。
泣くのは少なくなったが、自分の能力の無さをつくづく実感しながら、求められる能力に必死に手を伸ばし、しがみつく二年目。
やっと馴れてきた仕事と、新しくのしかかる仕事の日々で、ぐったり疲れる毎日だが仕事の楽しみを少しずつ感じれる今。
しかし、楽しい日もあれば辛い日もある。
むしろ、ほとんど辛い日ばかり。
そんな時は、真っ先に母に電話をかけ、落ち着いたら高校時代の仲良い友達にLINEする私のルーティン。
母は看護師をしており、勤続35年となった今は師長となって、日々私には想像のつかない命の現場に立っているのだろうと思うと、尊敬の念が自然とこみあげてくる。
私が小学生低学年の頃、もしもこの世に魔法使いがいるとしたら、それは「私」と「母」なんだと思っていた時期を覚えている。
当時「魔女の宅急便」に影響を受けているキキならぬ私サキは、なんの根拠もなく私と母は魔法使いだと思い込んでいた。
ただ、私は魔法の力を失い空飛ぶ能力が「今はない」という映画のあらすじに忠実な設定で、家の近くの公園や家の中でも「早く飛べるようにならなきゃ!」と木の棒にまたがっていた。
よく家族で遊びに行っていた犬迫町の『健康の森公園』でも必死に練習をしていた私に、
母が「無理しちゃだめよ」と言いながら
優しく見守ってくれていた。
そんなことをフワフワ思い出しながら、明日の打ち合わせの資料を作っていた現実に「ハッ!」と引き戻され、今度は現実で嫌な思いをしていることを思い出してしまい、少しおなかが痛くなってきた。
商品促進部の紙媒体広告チームで4年目の私には8人の後輩がおり、指示や確認を行うチームリーダーとして働いている。
キャンペーンなどで一気に8つの雑誌の掲載を同時進行で商品のレイアウトや校正、そして撮影やスケジュール調整を行いながら他部署と展示会や商品発表会など連携を行い、たった一つの凡ミスが命取りとなるチームだ。
-(他部署もそうだが、紙媒体は特に。)
そのことを毎日口うるさく言ってるのにもかかわらず、平気で同じミスを繰り返し行い反省の色すら見せない『週4合コン女』と、裏での文句や愚痴を言い放ち放題の社内でも評判の悪い『謎なキーホルダーつけてる女』の2トップの後輩を筆頭に頭を悩ませている。
また、1番の悩みの種は、上司だ。
女46歳でバツイチ。雑誌バブルだった13年前に大手編集社から転職してきた、酸いも甘いも経験してきた叩き上げ世代。
機嫌が良い時も悪い時も「これだから今の○○は、」からの「私の言ってること間違ってる?」の流れは鉄板。
他部署も含む全体定期ミーティングでは、この上司からきまって私の公開処刑が行われる。
-(社内ではお客様と直接接する店舗が第一なので、店舗からのクレームは重く厳重注意される。)
至ってどこの会社でもありそうな上司と部下の会話だが、
私のストレスの原因は、上司に「当事者意識がない」というとこだ。
普通の会話でもこの意識のなさがヒシヒシと伝わってくる。
連携する部署とは仕事の会話のみで飲み会やプライベートな話は避け、全く連携のない部署とあえて仲良くするタイプ。
-(長年の経験の知恵か?)
極めつけは、上司に口頭で確認し、念のためメールでも確認して頂いた事項にミスがあった時、後日他部署の上司から聞いたところ、私のせいになっていた。
-(さすがにそれには腸が煮えくり返った。)
こんな、上からも下からも挟まれているサンドイッチ状態が続き、私は限界状態だった。
「辞めたい。」
ちょっと奮発して行った食べログ『4.03』の焼肉屋さんでも、いつも癒されるアロマテラピーサロンでも、週一で通い始めたばかりのHotヨガをしても、何をしても憂鬱だった。
日が経つにつれ、生活の色が薄くなっていくのを感じていた。
そんな辛い日々を過ごしていると、7ヶ月ぶりに、『魔法のダンボール』が届いた。
鹿児島の実家からの定期便だ。
今回は、祖父が田んぼで大切に育ててくれたお米、詰め替え用の液体洗剤3つ、ふりかけとお茶漬け、韓国のり、チョコレートとフルーツゼリー12個が入っていた。
私が大学生の頃から、3~6ヶ月に一度母が送ってくれる。
その中身はいつも違って、いかにもお歳暮・お中元でもらった品物から近くのタイヨーで買ったであろうお菓子や生活用品などだが、何も聞かずとも必要であろう生活用品をチョイスしてくれている母の姿を想像するだけで温かい気持ちになる。
ふと、ダンボールの中からメッセージが書かれた一枚のメモを見つけた。
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元気にしてますか?
連絡が来ないとこをみると、
仕事が忙しいみたいだね。
忙しい時こそ、
ちゃんと栄養のある食事を摂るようにしてね。
あと、あまり自分の中で溜め込まないで、
リフレッシュしなさいね。
無理しちゃだめよ。
いつでも鹿児島に帰っておいで。
最近、東京での事件や事故が多いみたいだから、くれぐれも気をつけてね。
母より
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あまり連絡をして来ないことが心配なのと、ストレスを溜め込む私の性格を気遣ってくれた、手紙が添えられていた。
いつもは手紙なんかよこさず、電話してくるのに。
涙をこらえながら、もしかしたら母は全部お見通しなんじゃないかと思い、
昔、空を飛ぶ練習を必死でしていた私に、母がよく「無理しちゃだめよ」と声をかけてくれた事をまた思い出した。
溢れる涙を手で拭いながら、
やっぱり母は、
『魔法使い』だ。と思った。
そんなメモ帳に書いてあるメッセージの裏には、
-(私の家は昔から新聞に折り込まれているチラシや古いカレンダーは裏が白紙なので、メモ帳サイズに切って再利用している)
元々にんにく卵黄のチラシだったみたいで、
「元気が目覚める!」とでっかく書いてあり、
その横には今にも匂ってきそうなでっかい「にんにく」が写っていた。
号泣していたのが嘘みたいに、
「フフっ」と、笑ってしまった。
遠く離れていてもいても、心配してくれて、元気を与えてくれる。
うん、
やっぱり母は、
『偉大なる、魔法使い』だ。