【1985-1989年生まれ】中学・高校時代のニュースを振り返る

思い出シリーズとして、2002年~2006年の全国と鹿児島の出来事を振り返ってみましょう。

2017年時点で29歳~31歳の高校時代、26歳~28歳の中学時代になります。

当時を思い出してみてください。

≪全国の出来事≫

2002年(平成14年)

■2002 FIFAワールドカップ開幕


出典:http://football-uniform.up.n.seesaa.net/

2002年5月31日から6月30日にかけて開催された日本・韓国共同開催のサッカーW杯で日本はベスト16、韓国はベスト4の成績、優勝国はブラジル。

この大会は買収疑惑など本当に跡を濁す大会となりましたが、サッカー人気が再び盛り上がりました。

■小中学校「ゆとり教育」制度開始

学習内容を3割削減(小中学校)、授業時数を削減。完全学校週5日制の実施。

■ソルトレイクシティオリンピックが開幕

■ アメリカ・メジャーリーグでサンフランシスコ・ジャイアンツのバリー・ボンズ選手が73号の本塁打を放ち、シーズン最多本塁打記録を更新

■多摩川にアゴヒゲアザラシのタマちゃん出現


出典:http://stma.seesaa.net/

■小柴昌俊さんがノーベル物理学賞

日本の物理学者・天文学者として、1987年に自らが設計を指導・監督したカミオカンデによって史上初めて自然に発生したニュートリノの観測に成功し、2002年にノーベル物理学賞を受賞。

■田中耕一さんがノーベル化学賞

日本の化学者、エンジニアとして、ソフトレーザーによる質量分析技術の開発にて、2002年にノーベル化学賞を受賞。

2003年(平成15年)

■朝青龍が第68代横綱に昇進


出典:morgen3.fc2web.com

お祝いムードいっぱいでしたが、同時に横綱・貴乃花が引退というとても印象的な出来事でした。

■高校も「ゆとり教育」制度開始

■アメリカ軍がイラクのフセイン元大統領を拘束

■オレオレ詐欺が横行

警察庁の発表によれば、2003年1~3月に発生した「オレオレ詐欺」の被害総額は約21億円で、年間を通して総被害額は約43億円となっていた(2003年当時)。

■最後の日本産トキ「キン」が死亡

■鳥インフルエンザ感染発生

■新型肺炎のSARS(重症急性呼吸器症候群)が新感染症に指定され、7月の終息宣言までに32ヶ国で患者774人が死亡

2004年(平成16年)

■シアトル・マリナーズのイチローがシーズン最多安打記録を84年ぶりに更新


出典:http://column.sp.baseball.findfriends.jp/

2000年に渡米して、移籍して4年で大記録を達成した瞬間でした。ジョージ・シスラーが持つ年間257安打を84年ぶりに塗り替える快挙を成し遂げたイチローは、試合後の会見でこう明かした。

「日本でどんな実績があっても『メジャーをなめんじゃねえぞ。どれだけのもんだ、お前が』という雰囲気をものすごく感じた」

■ 宮城県仙台市を本拠地とする「東北楽天ゴールデンイーグルス」が誕生

プロ野球のパリーグに新規参入する球団をめぐってIT企業の楽天とライブドアが争奪戦を繰り広げていた問題で楽天の新規参入が決定した。

■NBAに田臥勇太選手が日本人として初めて出場


出典:nba.co.jp

■性同一性障害特例法が施行

■鳥インフルエンザ

2005年(平成17年)

■小泉内閣による郵政民営化法案が可決


出典:https://vdata.nikkei.com/prj2/postwar70/

■宇宙飛行士野口聡一がスペースシャトル「ディスカバリー」で宇宙へ

■日本プロ野球セ・パ交流戦が開幕

■愛知県で「愛・地球博」が開幕


出典:http://homepage2.nifty.com/

■ディープインパクトが三冠制覇

皐月賞、東京優駿(日本ダービー)、菊花賞の三冠制覇を達成した。

■日本の人口が1899年の統計開始以来初の自然減

2006年(平成18年)

■2006 FIFAワールドカップ開催


出典:http://www.soccer-king.jp/
サッカーW杯ドイツ大会で日本は一次リーグ敗退、優勝はイタリア。引退するフランス・ジダン選手が決勝戦で頭突きによって退場、日本の中田英寿選手が敗退後に引退表明。

■トリノ冬季オリンピック開幕


出典:http://blog.goo.ne.jp/

■第1回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)が開幕

この大会では王監督率いる日本代表が優勝し、WBCの初代王者となった。

■表参道ヒルズがオープン


出典:http://55tokyo.jp/

■日本の65歳以上の人口率が世界最高、15歳以下の人口率が世界最低に

■亀田興毅が10代でWBA世界王者


出典:http://spotlight-media.jp/

■ライブドアの堀江貴文社長が証券取引法違反容疑で逮捕

■37年ぶりの決勝戦引き分け再試合(延長15回)

※優勝投手は斎藤佑樹、準優勝投手は田中将大


出典:http://blog.zaq.ne.jp/


≪鹿児島の出来事≫

2002年(平成14年)

■連続テレビ小説『まんてん』の放送


出典:http://images.amazon.com/images/I/61C0AAD1YBL.jpg

2002年9月30日-2003年3月29日まで放送された、NHK連続テレビ小説『まんてん』。
屋久島に住むヒロイン、日高満天(まんてん)が鹿児島でバスガイドになるために島を出るところから物語はスタートする。その後、物語の舞台は大阪などに移り気象予報士をするための勉強をする。そんな中で漁船の遭難で行方不明になっていた父と再会するなどの出来事を通し、最終的には満天は宇宙飛行士になり、宇宙からの天気予報を伝えるようになる。「電子・光学等のセンサー全盛の時代に宇宙から人間が天気予報をすること」にどれだけの意味・値打ちがあるのかと作中でも疑問が提示されるが、満天が自分の言葉で惑星・地球の美しさを伝えようとしたこころが、日本の子供たちに確実に根付いていることを感じさせて、物語は終了する。

2003年(平成15年)

■かごしま県民交流センターオープン


出典:http://www.kagoshima-pac.jp/

元々は鹿児島県庁舎の所在地であったが、1996年に庁舎が同市の鴨池新町へ移転した事に伴い、その跡地に2003年4月22日新規オープンしました。

2004年(平成16年)

■九州新幹線新八代駅~鹿児島中央駅間が開業


出典:http://shiino-goichi.sakura.ne.jp/menu12_63-tubame-kagoshima.htm

新八代駅は九州新幹線(鹿児島ルート)と在来線の鹿児島本線の2路線が乗り入れており、在来線と新幹線の併設駅となっている。

2011年3月12日の全線開業へ向けての前段階でした。

■アミュプラザ鹿児島がオープン

2004年9月17日にオープン。

鹿児島市の中心駅である鹿児島中央駅に立地し、施設運営のコンサルティングをパルコが行っていることから、駅ビルの要素とファッションビルの要素を併せ持つ商業施設が誕生した。

2005年(平成17年)

■第83回全国高等学校サッカー選手権大会にて鹿児島実業高校が全国優勝


出典:http://blog.livedoor.jp/yatstyle/archives/cat_566567.html

鹿児島実 0 – 0(4 PK 2) 市立船橋

両チームともDF(ディフェンス)がしっかりしているチームだった。

引いて守る市立船橋に対して、攻める鹿実はあと一歩のところまで果敢にトライしたが、1点をもぎ取ることができなかった。

しかし、PKのすえ優勝を手にし、鹿児島全体に感動を与えてくれた。

この時のベストイレブンは鹿児島実業からは11名中6名選ばれており、その中には今の日本代表を牽引する、本田圭佑選手(星陵)も選ばれていました。

■ドルフィンポート開業

総木造2階建で南国のバンガローを思わせる建物。

特産品の直売店や飲食店を中心に約20店舗が入居している。

運営は、山形屋や地元財界を中心とした共同出資会社である鹿児島ウォーターフロント株式会社です。

埋立地の利用が1990年代前半のバブル経済の崩壊で停滞したため、鹿児島県を中心に設計コンペで選定された山形屋案をもとに建設された。

■ジャングルパーク閉鎖


出典:http://www.asahi-net.or.jp/

年間入場者数は、1980年の約30万人の入場者を機に、その後は少子化、施設の老朽化、陳腐化により、ピーク時の半分以下になり、経営が困難なことから2005年7月11日に閉鎖された。

跡地には複合商業施設、フレスポジャングルパークが2006年10月にオープンした。

2006年(平成18年)

■第84回全国高等学校サッカー選手権大会にて鹿児島実業高校が全国準優勝


出典:http://blogs.yahoo.co.jp/fhmtf705/GALLERY/show_image.html?id=62886343&no=1

野洲 1 – 1(1 延長 0)鹿児島実

高校サッカーの数ある中でもベスト3に入るような決勝戦だったのではないでしょうか?

野洲に1点先制され、後半79分に同点に追いつきましたが、波に乗れず、延長戦の末、野洲に1点を獲られて惜しくも準優勝でした。

延長戦での1点は、カウンターから逆サイドへ展開し、乾貴士選手から始まった、あの連携プレー(セクシーフットボール)は凄かったとしか言いようがありません。

まるで「フィジカルサッカーvs連動型サッカー」のような決勝戦を今でも鮮明に覚えています。

いかがでしたでしょうか?

この世代の高校時代は全国も鹿児島もスポーツが特に盛り上がったような気がします。

鹿児島の高校サッカーもこの世代がめちゃくちゃ強かったのが分かります。

また、鹿児島の行政は市町村の合併による、新市町村の誕生などで非常に活発でした。

自分達が住んでいたまちの地名が変わった人も多いのではないでしょうか。

そんな世代も今は30代となります。

是非とも、今後の鹿児島や日本を支えていって欲しいものです。

お酒でも呑みながら同世代のみんなと学生時代を振り返ってみてはいかがでしょうか。

【1985-1989年生まれ】中学・高校時代の青春エンタメを振り返る

2017年5月11日